3/29(土)映画「生きて、生きて、生きろ。」上映会を開催しました

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公開日 2025年06月12日

更新日 2025年06月12日

 東京反核医師の会は2025年3月29日、映画「生きて、生きて、生きろ。」上映会を協会セミナールームで開催し、38人が参加しました。

 

震災・原発事故から13年 福島で増加する精神疾患・自殺

 震災と原発事故から13年が経過した福島では遅発性PTSDをはじめとした心の不調を訴える人が多発し、若者の自殺率や児童虐待も増加していました。
 「生きて、生きて、生きろ。」は、相馬市のメンタルクリニックなごみ院長の蟻塚亮二医師、相馬広域こころのケアセンターなごみセンター長の米倉一磨看護師の取り組みを映したドキュメンタリーです。患者・利用者のおかれた状況には、東日本大震災および福島第一原発事故の影響が色濃く、蟻塚医師はかつて沖縄で沖縄戦の遅発性PTSDの患者を診ていた経験から、今後福島でもPTSDが発症すると考えていました。
 本作は、原子力発電所が福島に建てられた歴史的な経緯も取り上げています。ビキニ被ばく事件をきっかけに日本国内で起こっていた反核運動を抑え込むために、米国主導で「原子力の平和利用」キャンペーンが大々的に打ち出され、その中で原発の導入が進められたこと、経済的に豊かではない地方がその建設先として狙われたことが明らかにされます。

 

国家の作る「大きな物語」に抗して

 映画上映後はミニシンポが開かれ、島田陽磨監督と映画に出演した蟻塚医師、米倉看護師が登壇しました。
 米倉看護師は、福島第一原発事故によって、それまで10年間勤めていた精神科病院が休診となったことをきっかけに、福島県立医科大学心のケアチームに参加し、2012年から「相馬広域こころのケアセンターなごみ」センター長として、地域住民の支援活動を続けています。「精神疾患に対する偏見が強かった地域であることもあり、支援や治療を拒む人たちも多い。自分から助けを求められるようになることを目標にしている」と述べました。
 蟻塚医師は、3.11後に作られた「原子力災害時における心のケア対応の手引き」が実質的にヨウ素剤の配布を断るマニュアルになっていたのを見て、原発や放射線の問題になると学問が歪められることを痛感したと述べました。「原発事故で亡くなった方はいないと言われるが、原発事故がどれだけ多くの人の生活が破壊し、不幸にしたのか」と指摘し、事実を正しく伝えない政府、メディアを批判しました。また、原発事故後に広まった「年間100mSv以下は安全」というアピールは、広島・長崎での被爆者の追跡調査で、被ばく線量が100~200mSvを超えると死亡率に統計的に有意な差が発生することを基にしており、原発事故と放射線の問題は、広島・長崎の黒い雨訴訟や被爆体験者訴訟とも関連があることを指摘しました。
 映画の中で原発の歴史について取り上げたことについて、島田監督は「どんな事件も歴史的な経緯、文脈の中で起こっている。福島第一原発も突然爆発したわけではない」と述べました。現在制作中の次回作では、戦争とPTSDの問題を取り上げており、復員兵の戦争トラウマが世代を超えて連鎖している実態を明らかにしていきます。「国家が作り上げる大きな物語が跋扈する中で、個々の人々が作り上げる小さな物語を伝えるのがドキュメンタリーの役割だ」と語りました。

 

そこで暮らす人たちの生活、痛みは見えているか

 参加者からも様々な意見や感想が寄せられました。「以前、福島出身の女子学生が、健康診断が怖いと話しているのを聞いてショックを受けた。ある放射線医学の専門家が、統計的には影響のない放射線量だから問題ないなどと言っていたが、腹立たしく感じる」との発言に対して、米倉看護師は、「統計的な数値は見ていても、そこに暮らす人々の生活、人生は見えていないのだと思う。避難を経験してのストレスも含め、生活全体を見ないと健康について語ることはできない」と述べました。
 島田監督は「具体的な病気の発生率だけでなく、住民の不安や恐怖を受け止める場所があるのか、という問題がある。たとえばALPS処理水の放出についても、一度事故で汚染された場所が再度人為的に汚染されるということの痛みに政府は目が向いていないのではないか」と指摘しました。
 その他「被爆者医療をしていても、多くの患者はフラッシュバックやPTSDを経験している」「震災当時は理解できなかったが、福島出身のパートナーと結婚して、その傷の深さを実感するようになった」など、活発な発言がありました。
 最後に片倉世話人が「映画を観ていて震えが出てきた。やはり原発は過去の話ではないと痛感した」と挨拶し、閉会しました。

映画上映後のシンポジウムの様子