東京反核医師の会紹介

東京反核医師の会紹介

東京反核医師の会は、命と健康を守る立場から、核廃絶と国際平和を求める東京都内の医師・歯科医師・医学者の団体です。
 1983年にアムステルダムで開催された第3回 IPPNW(※)総会に大月篤夫医師(菊坂診療所)が参加したことをきっかけに、同年、大月医師らを中心にして「東京反核医師の会」は発足しました。2013年で30周年を迎え、2019年4月現在、会員数は115人です。

原水禁世界大会への参加

被爆電車画像

毎年8月の原水禁世界大会に参加しています。この間は隔年で、広島では動く分科会「被爆電車に乗って」を教職員の方々と、長崎では「映像のひろば」を有原誠治監督とともに企画運営しています。
広島の「被爆電車に乗って」は親子参加型のイベントで、1945年8月6日に被爆しながら現在も走行できる路面電車(通称被爆電車)に乗って、被爆遺構をめぐる企画です。2002年に渡辺吉明代表委員(当時)を中心に起案し、始められました。
 長崎では、2009年に「千羽鶴」(木村荘十二監督:1957年)とアメリカ・シカゴの中学生作「魔法のランプのジニー」を上映し、参加者と討論したのが始まりです。ただ映画を観るだけではなく、核兵器廃絶と平和について考え、語り合う企画になっています。

原爆症認定訴訟への支援

2005年東裁判集会(向山医師)

2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故は、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えました。いまだ事故は収束せず、検証も賠償も不十分なままです。政府は国内では原発再稼働を、国外へは原発輸出を進めています。
東京反核医師の会は、3.11以降、生命と健康を守る立場から原発の危険性を訴えるとともに、脱原発の運動にかかわっています。原発や内部被ばくに関する学習会を他団体と協力して開催し、脱原発のイベントにも参加してきました。

脱原発を訴える運動

2015年9月さようなら原発

2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故は、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えました。いまだ事故は収束せず、検証も賠償も不十分なままです。政府は国内では原発再稼働を、国外へは原発輸出を進めています。
東京反核医師の会は、3.11以降、生命と健康を守る立場から原発の危険性を訴えるとともに、脱原発の運動にかかわっています。原発や内部被ばくに関する学習会を他団体と協力して開催し、脱原発のイベントにも参加してきました。

IPPNW:(International Physicians for the Prevention of Nuclear War、核戦争防止国際医師会議)
1980年に結成された、核戦争を医療関係者の立場から防止する活動を行うための国際組織。現在、 83ヵ国で23万人が参加している国際的NGOの1つで、ほぼ隔年に世界大会と世界6地域での地域集会が開かれています。1983年の大月医師の参加以後、多くの日本医師が世界大会とアジア太平洋地域会議に参加するようになりました。
 核戦争の危機を諸国民に訴え、各国政府に核戦争防止を働きかけて軍縮に貢献したとして1985年にノーベル平和賞を受賞しました。また、IPPNWを母体に発足した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年に、核兵器禁止条約の成立に寄与したとしてノーベル平和賞を受賞しています。