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公開日 2026年02月20日
更新日 2026年02月20日
2026年1月31日、東京反核医師の会は東京保険医協会セミナールームで第38回総会・記念講演を開催し、会場9人、Zoom12人が参加しました。
総会では2025年事業報告および2026年事業計画、2025年決算・2026年予算、2026年役員が提案され、承認されたほか、来賓の家島昌志東友会代表理事に挨拶いただきました。
家島氏は冒頭で突発的な衆議院の解散総選挙について触れ、「高市首相は『逃げの一手』で解散という手段に出たが、国民の冷静な判断に期待したい」と述べました。また、会員の老齢化により被爆者の数が減少している東友会の現状や今年度の活動を紹介し、「当時の光景を直接見て記憶している語り手が減っており、口伝や学習を踏まえた内容が講演の主流となっているが、被団協がノーベル平和賞を受賞して以降、フランスやドイツ、イタリア等諸外国に招かれて証言する機会に恵まれている。これからも核兵器の恐ろしさを伝える活動を続けていきたい」と語りました。
総会後、俳優・社会福祉士の斉藤とも子さんを講師に「被ばく者の声を未来に伝えるために」と題して記念講演が行われました。
1976年のデビュー以来、数多くのドラマや映画で活躍していた斉藤さんですが、求められる優等生のイメージと本来の自分とのギャップに悩み、役者を辞めようと考えていた時期もあったそうです。1995年の阪神淡路大震災や、その後の海外での撮影で少数民族の子どもたちの姿を見て、あらためて勉強したいと決意し、38歳で大学に進学。ちょうどその頃、井上ひさし作の演劇「父と暮せば」で被爆者を演じたことをきっかけに広島を訪れ、被爆者との交流が始まりました。故・肥田舜太郎医師や、原爆小頭症の被爆者と家族による「きのこ会」とも出会い、大学・大学院でも被爆者の生活史をテーマに研究を深めます。
そんな中、2011年3月11日に東日本大震災、そして福島第一原発の事故が起こります。事故の知らせを聞いた時、斉藤さんは瞬間的に、「広島・長崎の被爆者の苦しみや放射能の恐ろしさがやっと全国の人たちに共有される」と感じてしまったそうです。しかし、原発事故の被災者を我が事のように心配し、手を差し伸べる被爆者の姿に、自分の浅はかさを反省したといいます。
斉藤氏は、原発避難者や小児甲状腺がん患者が原告となった訴訟に積極的に足を運び、原告の集会にも参加しています。現在も係争中である「原発賠償ひょうご訴訟」を取り上げ、震災当時小学校高学年だった原告二名の意見陳述文を朗読しました。「私たちは論争の材料でも統計上の数字でもない。命よりも国や企業の都合が優先される中で、甲状腺がん患者の存在が『なかったこと』にされているのは構造的な暴力だ」、「『科学で証明できないものは認めない』という冷たい社会ではなく、一人ひとりの苦しみや体験をきちんと受け止め、私たちが本当に見ている現実を誠実に見ようとする、人間らしい社会であってほしい」と訴えました。
ALPS処理汚染水差し止め訴訟にも触れ、「放射能による被害を訴える側には厳格な立証責任を課す一方で、『安全である』と主張する側にはその根拠の証明を求めないいびつな構造が、当時者に二重の苦しみを与えている」と指摘。「どんな人にも必ず良心があると信じている。私はこれからも被ばく者に寄り添い続けていく」とまとめました。
講演後は、斉藤さんと参加者による活発な質疑応答が行われました。
「同じ考えの人たちで凝り固まるエコーチェンバーが問題になっている。違う考えの人や関心のない人に伝えるにはどうしたら良いか」との質問に対しては、「違う立場の人とも、色々な分野でつながりを持ち、当たり前の会話ができる関係をつくること」を挙げ、「自分自身も常に一市民でいたいと思っている」と述べました。
終了後、斉藤さんを囲んで懇親会が行われました。
以下、当日の講演を動画でお伝えします。
※冒頭の5分半ほど、録画の不具合により音声のみとなっています。ご了承ください。
